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『面影』

ギフテッド~狼先生は恋をあきらめない~番外編SS

「そう言えば、お父さんの命日、いつもどおりで大丈夫?」
 ゴールデンウィークが明けて数日、一週間ぶりに哲平と一緒に実家に顔を出したとき、夕飯を作っていた母が思い出したように祭に訊いてきた。
「大丈夫って、何が?」
 大丈夫も何も、父の七回忌は昨年済ませたし、例年どおり家族で墓参りをして行きつけのレストランで食事というのが決定事項だと祭は思っていた。
 きょとんと首を傾げた祭に、母もきょとんと首を傾げる。どうして伝わらないのか本当にわからないという顔だった。
「何がって、哲平くんの都合よ。いつもどおり当日の午前中でいいかって話」
「俺ですか?」
 いきなり名前を出され、哲平が驚いて目を瞬いた。
「ああ、三十日ね、私の夫――つまりは祭のお父さんの命日なんだけどね、せっかくだし哲平くんも一緒にどうかなって思って。まだ墓参りしたことなかったでしょ? せっかくだし墓前に報告でもしたらいいのにねって」
「墓前に報告」
 ドラマでよく結婚前に婚約者を連れて「俺、この人と結婚するんだ」なんて墓参りするのを見たことはあるが、まさか自分がそうする立場になろうとは。
 しかし、それにしたっていきなり家族の法要に来いなどと、少し重すぎる話じゃないのか、と祭は鼻の上にしわを寄せた。もし逆の立場なら、間違いなく躊躇してしまう案件だ。
 どうする、と目で哲平に問いかけると、だが困惑すると思っていた哲平は、少し照れたように口元を歪めただけで、あっさりと頷いた。
「お邪魔でなければ、行きたいです」
「えっ、いいの」
「だって、祭さんのお父さんでしょ? ご挨拶しときたいし」
 ちらりと目の端に捉えた足先は特に丸まってはおらず、哲平の本心だというのがわかった。
 こういうとき、哲平の無垢さに助けられる。しがらみをいろいろとネガティヴに考えすぎてすまう祭にとって、哲平は眩しいくらいに潔く、素直だ。
「墓前に連れて行くのは結婚を決めたときっていうのがセオリーだけど、本当にいいの?」
 急に恥ずかしさが湧き、祭がからかうようにそう言うと、哲平はむっと唇を尖らせて、祭を睨みつけた。
「はあ? 結婚できなくても俺は一生祭さんといるものだと思ってたし、お義母さんも楽ももう家族だと思ってるんだけど。だいたい祭さん、前に俺に誓ってくれたよね」
 ――哲平、俺と生きてくれますか。
 ――はい。
 初めて身体を重ねたあと、祭の胸の毛をいじる哲平と語らって、プロポーズのような言葉を吐いたことを思い出し、祭は相好を崩した。あのときの哲平は初々しくて一生忘れはしないだろう。
 余分なことまで思い出していると、それを察して母が言う。
「やだ、祭がすけべな顔してる。あんたすぐ顔に出るんだから、職場ではきりっとしてなさいよ」
 祭の表情の機微がわかる人間など限られているのだが、母は昔からまるで全人類が祭の表情差分を見分けられる体で話す。
「職場ではちゃんとしてるよ。一応人気講師なんだけどな、俺」
 就職して三年、塾での祭の評判は上々だ。教え方もうまいと好評で、弟である楽の彼女――愛も祭の教え子だったのだが、昨年めでたく希望の女子大に送り出すことができたという実績もある。
 それならいいけど、と母が半信半疑で嘆息し、それから哲平に向き直る。
「私も息子だと思ってるからね、哲平くんのこと。じゃあ、レストランは四人で予約しとくわね」
「あれ、愛ちゃんは?」
 祭の質問に、母はふるふると首を振った。
「楽がまだ早いって誘ってくれなくて」
「ああ」
 楽も祭と同じ考え方だったのだろう。恋人のことは大切だし、家族と同等に想っている。だが、大切だからこそ少しでも影のある事象に巻き込みたくはないのだ。
 うちにとって、父の死は影だった。
 七年前、胃がんが見つかってすぐ、本当にあっという間に父は他界した。余命宣告されてから二ヶ月で、祭たち家族は覚悟を決める暇も与えられなかった。
 正直今でも、父の死は受け入れられていない。だからこそ墓参りのたびにしんみりとした空気が流れるし、悲壮感も漂う。そんな中に大切な人を引きずり込むのを躊躇うのは、当然のことだと思う。
「気持ちはわかるよ。愛ちゃんは結婚が決まってからでいいんじゃないか」
 祭が言うと、隣の哲平のつま先がぎゅっと丸まるのが見えた。どうしたんだ、と覗き込むと、哲平は唇を少しだけ噛んで、複雑そうな顔をしていた。
「……そうやって線引きされるのって、愛ちゃん嫌じゃないかな。あとで俺だけ誘われて墓参り行ったって聞いたら、悲しくならないかな」
 戸籍上家族ではないというのなら、哲平も愛も一緒だ。それなのに愛だけ弾かれるのを、哲平は良しとしないらしい。
 この家に頻繁に出入りして、家族のように気安く交流しているのは、実は哲平よりもむしろ愛のほうが先だった。それを知っている哲平からすれば、楽や祭の判断は解せないものなのだろう。
 だが。
「でもまあ、それは楽の判断だから」
 あくまで愛は楽の彼女。どんなに祭や母と交流を持っていても、まずその関係性が最優先だと祭は思う。
 哲平は納得できないような顔で、むすっと下を向いた。そんな哲平の黒くてツヤツヤした猫ッ毛を撫でながら、祭は付け足す。
「来年は、一緒に行けるかもしれないし、楽が愛ちゃんと別れない限り、チャンスはいくらでもあるから」
「そうよ。でも、命日までに愛ちゃんがうちに来ることがあったら、私が誘ってみるわ。今日も哲平くんが来てくれたから直接誘えたわけだし」
 それに、と母は続けた。
「多分祭も、もし哲平くんがここにいなかったら、誘ってなかったと思うわ」
「それは、どうして」
 哲平が悲しそうな目で母を見つめた。しかし母は正反対に、おかしそうにクスクス笑いながらそれに答えた。
「だって、ふたりともお父さんそっくりなんだもの」
 あーおかしい、と母は目尻に涙を浮かべた。
「墓前報告ではなかったけど、祭のお父さんもね、私を実家に連れていくの、かなり渋ったのよ。まだ結婚も決まってないのに、親に会わせるのは嫌だって」
 そしてその理由は、別れる可能性があるから、ではなく、無駄に母に気を遣わせたくなかったからだそうだ。祭の考えとまったく同じで、だから楽もきっと同じなのだろう。
「でも、俺は誘ってもらえてうれしかったです。できれば愛ちゃんも誘ってほしい。……他人の俺が進言していい話じゃないかもしれないけど」
 他人、と哲平がつぶやいた言葉に、寂しさが乗る。祭は途端にやるせない気持ちになって、思わず哲平を抱きしめた。
「他人じゃないよ。ごめん、ひどいことを言わせた。今度愛ちゃんに会ったら俺からも誘ってみる。俺は哲平が父さんに挨拶してくれるの、うれしいよ」
「祭さん」
 潤んだ目に見つめられ、気づいたときにはキスをしていた。ひゅう、とキッチンから口笛が聴こえて、はっとする。そうだ、母がいたのだった。
「いいなあ。私もお父さんが生きてたら今頃ラブラブしてたのになあ」
「親のそういうのはあんまり見たくないな」
 祭が言うと、少しだけ寂しそうに母は笑った。
 そのタイミングで、「ただいまー」と玄関から声がする。それから続けて、「お邪魔しまーす」という声も。
 三人は顔を見合わせて、それからにやりと示し合わせたように笑った。
 リビングに入ってきた楽と愛に、母と祭の声が重なる。
「ねえ愛ちゃん、月末のことなんだけど――



 

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